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12月 「なせばなる」と嚶鳴(おうめい)フォーラム

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2018年12月1日更新 <外部リンク>

 「なせばなる なさねばならぬ なにごとも ならぬは人の なさぬなりけり」。
 これは米沢藩の名君・上杉鷹山(ようざん)(治憲)公の教えです。苦境にあった米沢藩を倹約や殖産興業などで再建し、人々の心に未来創造の種もまきました。鷹山の素晴らしさは米国のJ・F・ケネディ大統領も尊敬する人物にあげています。
 鷹山公には恩師がいました。細井平洲(へいしゅう)先生です。尾張国知多郡平島村(現・愛知県東海市)の農民出身で、宝暦元年(1751年)、24歳で江戸へ出て私塾・嚶鳴館(おうめいかん)を開き、武士のみならず町民農民にもわかりやすく学問を広めました。宝暦13年に上杉治憲(後の鷹山)の師となります。明和8年(1771年)には米沢藩に在国1ヵ年で講義を行い、3次にわたり米沢で教育にあたります。藩校興譲館(こうじょうかん)は平洲の命名です。
 鷹山と平洲は徳治に努め、家臣や人々の心に改革創造の火を灯しました。「君主は民の父母であるべし」等の教えが米沢藩に根付きました。
 平洲の地元、今の東海市は鈴木市長を筆頭に細井平洲先生を生涯学習等に活かされています。
 このように郷土の先覚者を顕彰し、まちづくりや生涯学習に活かそうという思いに共鳴する自治体が集うのが多久市も参加する嚶鳴フォーラムです。
 嚶鳴の意味は、雄雌の鳥が互いにオウオウと鳴き交わすことですが、平洲が目指した「朋友が互いに切磋琢磨し学問に励む」の志で切磋琢磨しています。災害時相互支援等も行い、先月は被災地釜石市でのフォーラムに参加し、防災等も学びました。
 明治維新150年。時代を拓く人間力を高めたいものです。
 12月16日は県知事選挙、忘れずに投票に行ってください。