コロナも落ち着きつつあるお盆の先祖供養などいかがでしたか。猛暑酷暑続きでたいへんだったろうと拝察いたします。
久しぶりに各種催事も通常開催となってきています。
中でも多久山笠は久々に大勢の人出で賑わいました。SAGAアリーナでのアピールや、学校を訪問しての山笠解説なども相まって、8月15・16日はすごい人出でした。今回が75回目の祭事です。天徳寺での祈願から始まり、開会式に続く餅蒔きも沢山の人でした。そして本番。
まずは提灯山。アリーナイベントに向け技を磨いた若衆会の組立妙技も見事でした。太鼓と笛と鉦(かね)のお囃子(はやし)にあわせ、きびきびした動きでみるみるうちに立ち上がり、歓声と拍手に囲まれました。折しも西方の船山の山ぎわを染める茜色の空と雲。それを背景にきりっとしたシルエットが映えました。
片や東西の人形山は数日前に仕上がった雄姿で登場。大河ドラマ「どうする家康」を思いおこす「三方ヶ原の戦」「本能寺の変」「大坂夏の陣」、さらに「必殺仕事人」も。着想と熱意が光る人形師に、祭の後にお会いでき、熱意の程に感銘しました。
家康は肥前の地を踏んだことがあります。秀吉の朝鮮出兵の最前線基地・肥前名護屋城に詰めた文禄2年(1593年)に、家康は小早川秀秋の縁で、当代きっての儒学者・藤原惺窩(ふじわらせいか)から『貞観政要(じょうがんせいよう)』の陣中講義を受けます。中国唐代の太宗皇帝の治世を柱に政の教えを後世に伝える古典です。家康は召し抱えようと望みますが辞退され、代わりに弟子の林羅山が推薦されます。この後、羅山は家康の儒学の師となり重要な役割を担い、それは湯島聖堂・昌平校に繋がります。その縁の先に多久聖廟創建も繋がっています。