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11月 歴史をおもう秋の空

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:1999年11月1日更新 <外部リンク>

 今をさかのぼること300年。元禄12年、1699年に、ここ多久の地に学問所が設けられました。翌13年には孔子像鋳造。14年には多久茂文が「文廟記」に聖廟建立の思いを記しました。そこにはこの地で学問を盛んにして、多久を丹邱の里(理想卿)にしたいという願いがこめられていました。そして1708年に全国屈指の多久聖廟が建立されたのです。聖廟のはじまりは学問所にありました。学の志こそ聖廟を生んだのです。
 今年は東原庠舎創設から300周年。学舎のはじまりは初代教授河浪自安の自宅でした。独立した学舎の完成は1718年、享保3年になってからのことです。
 江戸時代には、1万石以上の石高をもつ行政地域を一般に藩といい、それ以下の領有地を邑とよんだようです。多久領は8600石と小さな邑だったのです。
 この小さな多久邑の学校が東原庠舎です。遠隔地の年少者、寄宿できぬ者や庶民に分校を設けるなどの配慮もありました。その内容は全国の藩校と遜色なく、地域や全国で活躍する人物を輩出していきました。
 そんな先人の情熱に負けぬ努力をしたいものです。何事もゼロからのスタートだったのでしょうし、時を重ねて少しずつ出来上がっていったのですから。
 多久茂文自身は1711年8月に43歳で死去します。私も今が43歳。まるでバトンを引き継ぐような縁を感ぜずにはおられません。深まり行く秋の中で。