佐賀県出身の経営者・市村清翁の生誕百年を記念し復刻印刷された『市村清・その生涯と実践哲学』を頂いた。
その中の話。敗戦後、焼け野原となった東京で市村社長は本社ビル建設を思い立つ。用地が足りず、足袋屋の土地を譲ってもらおうと当主の未亡人にお願いに何度もいった。ある日、未亡人が訪ねてきて「今日は最後の断りに来た…」と言う。「でも、ホンのこの一瞬、考えが変わりました。あなたに譲ります」。市村は驚いた。
聞けば、女性は雪の中を歩いて来た。泥雪だらけで、やっと会社に着いたら女性社員が「いらっしゃいませ」と、どこの誰とも分からぬ未亡人を迎え入れ、汚れた高下駄のかわりに、社員は自分が履いていたスリッパを脱いで揃え、自分は足袋裸足になった。そして、娘が老母をいたわるように抱きかかえながら3階まで案内した。
この瞬間、老未亡人は感動に打たれた。戦後のとげとげした世相の中で誰もが自分のことばかり考えて思いやりも愛情も吹き飛んでいたときに美しい心に出会った。
「このような教育をされる会社の社長なら無条件で信用できるし、先祖にも喜んでもらえる」と考え、断るはずのものを感動に震えて話したのだった。
“三愛”と名付けたのも「このときの感銘で、人を愛し、国を愛し、勤めを愛する、にちなんで命名した」という。市村翁は、従業員は事業の協力者だと考えていた。
五月のさわやかな風を社会にも生み出したいものだ。