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6月 この道30年の力

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2000年6月1日更新 <外部リンク>

 風の画家・中島潔さんは画歴30年。子どもの頃から絵を描くことが好きだった。地面に飛行機や車の絵を描いた。でも学校では一度も賞をもらっていない。野山を駆け回った時の風、草木、夕焼け、せせらぎが絵の原点になっている。高校卒業間際の母親の他界を機に故郷を離れる。伊豆で温泉堀りの仕事。そして印刷所に勤める。初めて自分の描いたチラシが刷り上がった時は抱いて寝た。もっと絵を描きたいと21歳で上京。苦しい生活をし、28歳で本格的に絵を学びに憧れのパリに行く。国立美術学校に足を運び、若い学生の群れに紛れ込み中に入る。翌日からデッサンに通う。後ろの席にいたが次第に一番前の席へ。突然教師にスケッチブックを取り上げられ「追い返される」と覚悟を決めていると、褒められた。授業出席が黙認され、それからは美術館と美術学校に通う毎日。そんな中から、同じ油絵を描いても叶わないと気づき、日本画を描こうと帰国する。39歳で初個展。40代で風の画家と呼ばれるようになった。
 絵を描くことが苦しくなる時もあるという。10年ほど前には絵をやめようかと思った時、佐賀県にもどった。故郷は中島さんに不思議な力を与え、新しい絵が生まれた。源氏物語五十四帖もそんな中から描かれた作品だ。
 新世紀の目標はパリでの個展と金子みすずの詩を絵にすること。画集に「日本人としてのプライドを忘れず努力を続けねば、貴重な時間はすぐ過ぎてしまう」とある。何事も30年の努力は第一人者を生む。範としたい。