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3月 ソルトレイク・オリンピック

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2002年3月1日更新 <外部リンク>

 2002年の冬季オリンピック開催地である米国ユタ州ソルトレイク市は、かつて大西洋を渡り、米国東海岸から西部を目指した人々が、ロッキー山脈を越えて拓いた街だ。開拓者魂が息づく。リーダーは「This is the place」と宣言したと記録されている。ここがその場所だ。ここから我等が理想郷を築くのだ。そんな熱意からまちが始まった。それはどんな仕事や地域づくりにも欠かせない心の姿勢であり、生きざまである。
 日本選手の中で連覇を期待された一人がスピードスケートの清水宏保選手。この種目は、2回の競技記録の合計タイムで競う。1回目は0.19秒差で2位。2回目は記録を伸ばしたが、合計で0.03秒の差、距離にして約40センチの差で銀メダルだった。
 走り終えた瞬間の横顔には闘志の中に一抹の無念さが残っていたように思えた。「金メダルをとれる大会だったのに」と自分を振り返るように悔しさをにじませた。
 故障を超えての挑戦は厳しかったはずだ。狙える記録の次を常に考えるから記録は出せると語るほどの鍛練を重ねた。あの低姿勢で走り抜く姿は、世界陸上のモーリス・グリーン選手の記録達成のヒントにもなった。周囲は連続メダル獲得をたたえたが、清水選手は冷静に自分を見つめた。静かな闘志は謙虚にすら思えた。「これから4年間で自己記録を伸ばしたい」と次を語った。
 白銀の光景の下に、苦難を超えた人々の歴史があり、清水選手の自分鍛練と希望や闘志が重なって見えた。(とし)