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5月 藩校サミット

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2002年5月1日更新 <外部リンク>

 うららかな日和の中、東京湯島の聖堂で藩校サミットが開催された。日本列島の北から南まで、かつて藩校が活躍した歴史がある。
 きっかけはNHK漢詩紀行の指導役や、多久市での漢詩コンテスト審査委員長である石川忠久先生が、藩校を一堂に集めての会をしたいと思われたことからだった。そこに元日銀総裁の三重野氏も合流された。ともに、日本の教育に危機感を持ち、漢字文化再興を構想された。
 会合には藩主の末裔にあたる方々、藩校の名称をもつ学校の代表者、藩校の趣旨をいかそうとしている団体、そして藩校のあった地域の市町村長などが集まった。
 藩というよりも邑といわれ、教育にめざめていた多久も招聘を受け、光栄に感じた。
 かつて明治維新を担った人物は、藩校やその関連機関で教育を受けた。古典などに学び、自己練磨、徳育などを機軸とした教育を重ねた。人間観や理念、あるいは人としての出処進退について、まさに人生のバックボーンを鍛えてきた。だから欧米視察団や外交交渉団だった日本人を、欧米の人々は評価し、尊敬して、対応したといわれる。そこには現代人が学ぶべきことが潜在する。
 まして日本の教育が危惧され、学校が揺れ、子ども世代の教育が再注目されている今こそ、改めて藩校の果たした役目やその教育内容に光をあてることは意義あることだ。
 わが子に何を遺せるか。わが子に何を伝えうるか。お互い、しっかり考えたい。未来はその先にある。(とし)