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6月 先達を偲ぶ

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2004年6月1日更新 <外部リンク>

 財団法人孔子の里などに多大なご寄付・ご支援を頂いた曲渕喜和太氏は、1906(明治39)年8月24日に当時の小城郡南多久村大字長尾で誕生された。小学校のころは大八車で家業を手伝い、中学時代(いまの高校にあたる)は心身鍛錬のためにと小城中学までの10キロの道を徒歩通学。卒業後は18歳で伯父・中島茂氏の経営する事業に参加。その後は、国内外を舞台に幾多の困難を乗り越え努力された。困窮時代の体験から「残さず食べなさい」が口癖だった。
 1954年に48歳で日本商事社長に就任し、薬業界では知らぬ人のないほどの尽力を重ねられた。「新しいことに挑戦すること」「知恵を出せ、出せないなら人の倍の汗を出せ」「卸は小売のお客さまあってこそ、どちらにも感謝を忘れない」。人間性あふれる事業姿勢が人々を魅了した。82年会長就任まで288年間、さらに94年会長退任まで12年間、第一線で陣頭指揮をとられた。
 比類まれな郷土愛も忘れてはならない。関西多久会の創設メンバーであり、市内でもご指導やご支援を頂かれた方も少なくないと聞く。「市長さん、どうぞしっかり頑張ってください」の言葉は今も鮮明に耳元に残る。なんともすばらしい笑顔もくっきりと記憶に残っている。
 そんな大先達が、この春、桜散るころに他界された。司馬遼太郎を愛読された明治人の熱い情熱や後ろ姿に学びながら私達も未来創造の挑戦をしたい。合掌。(とし)