ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ
トップページ > 市長の部屋 > 5月 湯島聖堂の孔子祭

5月 湯島聖堂の孔子祭

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2006年5月1日更新 <外部リンク>

 湯島聖堂は御茶ノ水駅近くの聖橋そばにある。孔子の学問を崇敬した五代将軍徳川綱吉により元禄3(1690)年に創建され、11代家斉時代の1797年に幕府直轄の昌平坂学問所が開かれ、江戸時代の学問と教育の中心となった。明治維新で新政府所管となるが、文部省・博物館・師範学校などがこの地に設置され、聖堂は近代教育発祥の地としての誉れを受けた。祭事は明治維新の変革で絶えたが、明治40年に有志で再興され、大正9年からは財団法人斯文会を軸に今日まで継承されている。
 その湯島聖堂の孔子祭に参列した。入徳門をくぐり、石段を登ると、正面に大成殿。祭典はここで行われる。竜笛(りゅうてき)・篳篥(ひちりき)・笙(しょう)の3人の伶人は、熟練の技で見事な音色と響きの雅楽を奏でる。多久聖廟の釈菜にあたる釋奠(せきてん)は神官4人で進められた。
 孔子像の高さは38センチ。元々の像は焼失し、この像は昭和10年に聖堂復興の際に宮中から下賜されたものだ。釋奠から献茶、祭文奏読、祭主拝、来賓拝、参加者代表拝、来賓祝辞、講経、孔子頌徳歌、理事長あいさつと続く。
 祭器や内容の違いも分かったが、簡略とも思える進行に、儒官服で行う多久聖廟釈菜の重厚さを感じた。多久の祭典はやはり独特で貴重だ。同席の宇野精一先生も多久を絶賛された。
 鄙びた田舎の小さな多久邑に、聖廟を建立し、学の普及を願った先人の志や思いが、かくも偉大かと改めて教えられる思いがした。郷土の先人たちの志の高さと教育への情熱の熱さに感銘した。湯島聖堂の訪問は、あたかも自己を映す鏡のようだ。自己を見つめ、過去に学び、未来を創造したい。(俊)