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4月 「国宝」多久聖廟と「温故創新」

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2008年4月1日更新 <外部リンク>

 皆さんはご存知ですか。多久聖廟に「国宝」だった歴史があることを。大正10(1921)年に国の史跡になり、昭和8(1933)年に国宝に指定されています。その後、昭和25(1950)年、文化財保護法制定で重要文化財となりますが、創建300年になる多久聖廟には「国宝」という歴史があったのです。
 3世紀前の創建に臨む多久茂文の志は「文廟記」にあります。
 「多久は佐嘉城下からは離れた辺鄙なところにあり、領民は田舎者で学問や道徳が貴重と云ってもなかなかわかってもらえず、学問も停滞している」。「聖廟を建てて、領民に思いやりの心を教えたい。聖廟を見ることによって、知識がなくとも人として持つべき大切なこと(親孝行・兄弟仲良くすること・嘘をつかないこと・真実の心)が自然に身に付く」。「中国で学問が盛んなのは、国や地方の村や港にまで聖廟があり、孔子の教えが定着しているからだ」と述べ、日本では「江戸に聖堂(湯島聖堂)ができ、幕府役人や大名が参拝し、講義を聞くようになったので、学問や武芸・芸術まで盛んになり、読書の声が町にあふれている」と説く。そこで「自分は中国で孔廟を建てた漢の武帝の時代の学者には及ばないが、多久に聖廟を建て、孔子の徳を広め、少しでも世の中を良くしたい」と発願した。しかし、「意味が理解できない領民もいるかも知れないが、それは孔子様にお願いするのみ」とも。さらに「孔子の教えが多久の地に根付いて、私をはじめ領民がいつまでも孔子の徳にあやかれることを願う」と祈る思いも書き記されている。
 この創建の初志に立ち、「世の中を良くしたい」との願いを受け、徳のある社会を目指す「温故創新」を進めたい。(俊)