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10月 半世紀の「ありがとう」

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2009年10月1日更新 <外部リンク>

 小学生の頃、店番は得意ではなかった。でもある日から心構えが変わった。「ありがとうございます」と言ってお客さまに商品を手渡した時にいただいた百円玉を重く感じた日からだ。
 全くの素人だった父母が花屋を開いたのは50年前。店というものをどのように切り盛りしていいか経験したこともなく、朝一番に開店し、最も遅くまで開き、「いつ眠るの」と尋ねられたこともあったらしい。右も左も分からぬままの開業だった。
 早朝の仕入れ、店に出す準備、陳列、接客や配達。戸惑いも苦労もあったはずだが、気に病む暇はなかった。経済的に楽でなく余裕がなった。1杯のラーメンを4人で食したと懐かしんで父は回顧するが、食うのにやっとのことも多かったはず。
 学校から帰れば店の手伝いが日課。帰宅が遅いと叱られた。盆暮れは自転車で配達の手伝い。部活から帰っても手伝い終了までは家族総出。紅白歌合戦はいつも店掃除時間帯で、座って見た記憶はない。父と遊んだ記憶もほとんどないのも、きっと父が繁忙を極めていたからだろうと今は思う。母の手術時には中学生の自分が家族分の料理に初めて挑んだこともあった。
 でも、「なせばなる」「人のために」の父の教訓や、「おかげさま」「迷惑かけない」の母の言葉が耳の底に残って育った。
 話を戻そう。その百円玉の積み重ねのお蔭で食べさせてもらい学校に行かせてもらえると感じたのだ。その後の御縁から、地域の皆さんのご支援をいただき、市長職を拝命している。
 両親に、地域の皆さんに、半世紀分の感謝を捧げたい。おかげでこうして元気に公務を担い活動させていただいています。そんな感謝の念を忘れず、微力を尽くして参ります。(俊彦)