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5月 孔子の四人の弟子達の復活

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2010年5月1日更新 <外部リンク>

 4月18日の多久聖廟の春季釈菜は特別であった。
 孔子像とともに廟内に並ぶ四配像が元々の姿に復元され、安置式を行ってからの祭典となったからだ。
 四配とは、顔子、曽子、子思子、孟子で、孔子の代表的で有名な4人の弟子のことである。この中で孔子から直接の薫陶を受けたのは顔子と曽子である。
 顔子は孔子が最も慕った弟子の代表格で、その死去に際して孔子は「天がわれをほろぼせり」とさえ落胆し涙したと伝えられている。曽子は『論語』にも『孝経』にもその名が出るし、それらの書物の編纂に大きな働きがあったといわれる。子思子はなんと孔子の孫にあたる。まさに孔子が大いに愛おしく思う存在だったはずだ。孟子は孔子の没後かなり経過して登場した人物だが、日本ではその教えを記す『孟子』とともに有名であるし、吉田松陰なども尊重した師でもある。
 安置式での市長あいさつでは『孝経』について触れた。この教本は儒学の入門書のひとつで、初学の者は必ず学んだ。藩校でも基本書だった。しかも、中国の唐代には玄宗皇帝から「一家に一冊置くように」との勅命も出たし、奈良時代の日本でも同様だった。基本の教えの尊さに高名な皇帝も注目した。その教えは、時代を超えて今日にも通じる、含蓄深いものがある。
 人として己を磨き、持ち前の天分と徳性を伸ばして世に役立つように生きなさい。それがあなた自身にも、世の中にも良いことになる。親に直接の孝行を努めることも大切だし、世に役立つ生き方で世に知られて評価されることも大事な孝行になる。そんなメッセージが簡潔に凝縮されている。この教えは、論語や大学などの古典をも貫くものである。そんな基本の基本ともいえる教訓を、私達は自分の心に刻むとともに、子どもたちにもしっかり伝えていかねばならない。(俊彦)