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10月 先覚者・志田林三郎博士

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2010年10月1日更新 <外部リンク>

 「天才とは1%のひらめきと99%の努力」はトマス・エジソンの有名な名言。世界的発明王であるエジソンが唯一尊敬した人物がグラスゴー大学のケルビン卿(ウイリアム・トムソン)といわれている。そのケルビン卿が愛弟子として教え「私が出会った数ある教え子の中で最高の学生」と高く評価した日本人がいた。明治時代初期に英国に渡航した多久出身の志田林三郎である。
 グラスゴー大学は当時の世界最高学府で、かのジェームス・ワットもアダム・スミスも縁のある大学である。林三郎はここで最優秀学生に与えられるクレランド金賞を授与されている。さらに大学での学究に加え、英国郵便事業実情を調査して帰国し、工部省電信局の実務に尽力し、日本の郵便・通信事業の基礎を築く仕事に奔走した。
 27歳で工部大学校電気工学科の初代日本人教授に就任。明治19年の帝国大学(現在の東京大学)発足では教授となり、21年に我が国第一号の工学博士となり、東京電信学校校長も務めた。
 電気学会創設にも尽力し、設立記念の第一回総会講演で、テレビなど現代に至る科学技術の進展と情報化社会を予言した。まさに俊才ぶりを発揮して活躍した。だが病のため36歳8カ月で逝去。存命ならさらに日本と世界に貢献したはず。
 その活躍の第一歩を支えたのは若い才能を見出し支えた多久の人々だった。人づくりの気風が多久にあり、人物輩出につながったのである。
 このほど志田博士を顕彰する会が発足した。郷土の先覚者をさらに学び、発信し、人づくりの気風も高めたい。ご協力をお願いします。(俊彦)