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6月 「わしがやらねば誰がやる」~晩節を汚さぬ生き方~

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2011年6月1日更新 <外部リンク>

 5月の九州市長会では、佐賀県市長会等の提案で、原発の安全対策と被災地復興の緊急決議を行った。あわせてメタンハイドレードなどの新エネルギー政策充実を国に求める意見も出した。
 開催地の壱岐市には「電力の鬼」とも称された松永安左エ門翁の生家と記念館がある。明治8年生まれで明治・大正・昭和の三代にわたり、電力の普及と振興に尽力し、日本の産業経済発展の基礎を築き活躍した人物だ。シンクタンクもつくり、政府へ政策提案し、実行に活躍した偉才である。
 その遺言状は有名。「死後の計らいの事」で始まる。「死後一切の葬儀・法要はうずくの出るほど嫌いに是れあり。墓碑一切、法要一切が不要。線香類も嫌い。死んで勲章位階(もとより誰もくれまいが友人の政治家が勘違いで尽力する不心得、かたく禁物)これはヘドが出る程嫌いに候。財産はセガレおよび遺族に一切くれてはいかぬ。彼らがダラクするだけです。(中略)…借金はないはずだ。戒名も要らぬ。」と続く。痛快で明快。かの白洲次郎にも影響を与えたと館長に聴いた。
 慶應義塾では直接薫陶を受けた福澤諭吉先生の記念帳に「我が人生は闘争なり」と書し、九十六歳天寿全うまで現役の活躍。トインビーの大著『歴史の研究』翻訳にも最期まで尽力した。翁は「今やらねばいつできる。わしがやらねば誰がやる」の気迫で人生街道を突き進んだ。
 同じ気迫の生涯をもつ多久の先覚者・高取伊好翁の銅像が再建立された。二大巨星は晩節を汚さぬ生き様を貫き、人生の原則と信念が光る。

市長 横尾俊彦