明治18年12月25日 |
中等公立習成小学校として開校 |
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明治34年 |
南多久尋常小学校と改称 |
明治43年 |
木造校舎新築落成式(経費19,072円也) |
昭和29年 |
市制施行に伴い多久市立南部小学校と改称 |
昭和36年 |
本校校歌制定 |
昭和43年 |
鉄筋コンクリート新校舎竣工 |
昭和60年 |
創立100周年記念式典挙行 |
平成4年 |
鉄筋コンクリート新校舎竣工 |
平成25年 |
南部小学校閉校 |
昭和38年度 授業風景全校生徒552名もいました。
みんな仲よく学びました
昭和60年創立100周年式典
創立100周年を全町民で祝いました。
平成11年度 博報賞受賞
「ことばは心」の校内研究が全国博報賞に輝きました。
鷲崎隆一さん 昭和24年度(第3回)卒
大戦下の昭和19年4月8日、満開の桜の花に迎えられての入学。国語で最初に習ったのが、「サイタサイタ サクラガ サイタ」「コマイヌサン ア コマイヌサンウン」であったと思う。
何と言っても一番印象に残っているのは、空襲警報下の坊山退避である。役場のサイレンが断続的に鳴ると、当時学校には放送施設はなく、メガホンで「空襲警報、空襲警報、坊山退避」と叫んで来られた。私達は、部落別に前庭に集まり、上級生に手を引かれ、坊山まで一目散に駆けていくのである。
(閉校記念誌原稿より一部抜粋)
原口勝久さん 昭和47年度(第25回)卒
年生の頃に鉄筋コンクリート校舎となり、みんなで引っ越した事や、現在まで使用されているプールが新設され、記録会も行われ一喜一憂しました。
春の遠足の思い出は、私の子どもたちの時も行われていた鬼の鼻山登山で、昔は高学年になると、現地解散となり山の尾根伝いに、途中の地区で休憩しながら家まで帰ったことです。
冬になると、寒い教室に弁当を温める箱が備え付けられ下に木炭を入れて温めてお昼には温かいご飯が食べられました。
(閉校記念誌原稿より一部抜粋)
日付 |
小学校 |
行事 |
時間 |
場所 |
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平成25年 |
3月3日(日曜日) |
南部小 |
「ありがとう 南部小。 そして、さよなら」の会 |
9時30分~ | 南部小体育館 |
3月19日(火曜日) |
南部小 |
閉校式典および校旗返納式 | 9時~ | 南部小体育館 |