平成24年9月運動会
全校児童と保護者と地域の皆さん
明治28年5月1日 |
北多久尋常高等小学校と称し設立 |
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昭和16年 |
北多久国民学校と改称 |
昭和22年 |
北多久村立北多久小学校と改称。 この頃から石炭産業興隆に伴い児童数激増 (昭和30年児童数2720名) |
昭和29年 |
市制施行に伴い多久市立北部小学校と改称 |
昭和35年 |
新校歌制定 |
昭和38年 |
鉄筋新校舎起工式 |
昭和42年 |
創立70周年記念事業のプールが完成 |
昭和44年 |
体育館新築・講堂解体 |
平成元年 |
新校舎(現校舎)落成 |
平成7年 |
北部小学校創立100周年記念式典開催 |
平成19年 |
新体育館が完成・中庭にウッドデッキ設置 |
平成25年3月 |
北部小学校閉校 |
昭和34年撮影。
この校門から石段を降りて「北部小第2運動場」(今の北多久運動広場)に向かいました。
写真の門柱は、今も運動場南の銀杏の木の近くにそびえ立っています。
昭和37年の校舎。
写真の右側にも木造校舎は広がっていました。
昭和31年に現在の「緑が丘小学校」と分離した後も、児童数は2,607人まで増え続け、教室が不足しました。
昭和53年の天山遠足。
6年生は学校から声を掛け合って自分の足で歩いて登りました。
下見登山をした子もいました。また、相撲場での校内相撲大会もあり、たくましさに満ち溢れていました。
炭鉱街として急速な人口増となり、講堂をベニヤ板で仕切って教室を増設しての授業だった。後ろの席は隣の先生の声がよく聞こえ、教室も50~60人のギュウギュウ詰めだったが、小学校2年頃、北部第2小(現在の「緑が丘小」)が完成したので、友人達が突然いなくなった記憶がある。
また弟や妹を教室の後ろで遊ばせながらの授業は思い出深い。火鉢で弁当温めがあって、漬け物が煮える匂いが食欲をそそった。…北小魂と伝統は残したいものです。
(閉校記念誌原稿より一部抜粋)
今思えば、よくも毎日野球ばかりしていたと感心する程です。今でも仲良く付き合える仲間です。小学校の交流の場であった運動場で仲間意識や人との付き合い、好きなことに熱中する姿勢や勝負意識、基礎的な体力づくり等を子ども同士だけで自然と身に付けていったように感じられます。
毎日仲間と遊び学んだ思い出の詰まった運動場を、今後も散歩やジョギングなど、利用できる形で地域に残して頂ければ幸いです。
(閉校記念誌原稿より一部抜粋)
日付 |
小学校 |
行事 |
時間 |
場所 |
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平成24年 |
11月25日(日曜日) |
北部小 |
北部小思い出の会 | 9時45分 ~11時25分 |
北部小体育館 |
平成25年 |
3月19日(火曜日) |
北部小 |
閉校式 | ||
校旗返納式 |
10時10分~ | 北部小体育館 | |||
閉校記念碑除幕式 |
11時~ | 北部小玄関前校庭 |