草場佩川(くさばはいせん)
天明7年(1787)~慶応3年(1867)
儒学者。幼い頃から非凡で、8歳で東原庠舎に入学し、18歳の時、領主の命により、佐賀藩校弘道館で学ぶ。22歳のとき江戸で古賀精里に入門し、25歳のとき朝鮮通信使の接待役となった精里に従って対馬へ行き、通信使を応接した。このときの記録『津島日記』は、交流の実相を記した貴重なものである。帰国して東原庠舎の教職となり、後に藩校弘道館教諭・教授となった。当時の生徒には、明治政府で活躍した大隈重信・副島種臣・大木喬任・江藤新平らがいる。佩川は学問だけでなく、武芸・詩歌・絵画などに優れ、漢詩集『珮川詩鈔』は何度も版を重ねて出版されるなど好評を博した。