多久茂文(たくしげふみ)
多久四代領主。佐賀藩三代藩主鍋島光茂の三男で、多久領三代領主多久茂矩の養子となった。幼いころより学問を好み、領内の平和と繁栄には、儒学を興し、人を育てることが肝要であると考え、元禄12年(1699)に学問所(後の東原庠舎)を設け、宝永5年(1708)儒学の祖・孔子を祀る多久聖廟を創建し文教の地・多久の礎を築いた。茂文の命により、孔子像にお供えする「釈菜」は300年以上にわたって受け継がれ、昭和55年には佐賀県無形民俗文化財に指定されている。
多久四代領主。佐賀藩三代藩主鍋島光茂の三男で、多久領三代領主多久茂矩の養子となった。幼いころより学問を好み、領内の平和と繁栄には、儒学を興し、人を育てることが肝要であると考え、元禄12年(1699)に学問所(後の東原庠舎)を設け、宝永5年(1708)儒学の祖・孔子を祀る多久聖廟を創建し文教の地・多久の礎を築いた。茂文の命により、孔子像にお供えする「釈菜」は300年以上にわたって受け継がれ、昭和55年には佐賀県無形民俗文化財に指定されている。