東原庠舎(とうげんしょうしゃ)
今も昔も変わることなく学問に熱心な多久市。現在でも生涯学習などが盛んで、街は常にアカデミックな雰囲気に包まれています。そんなまちづくりの土台は、すでに数百年も前につくられていました。江戸時代、多久氏によって統治された多久邑は、山あいという土地柄と本藩鍋島(なべしま)家の諸政策のために苦しい財政状況で、邑民の生活も極度に貧困でした。そんな時に多久家の四代邑主となったのが多久茂文(たくしげふみ)です。茂文は多久を治めるにあたり邑民の教育が何よりも必要だと考え、まず、元禄12年(1699)、邑校である東原庠舎の前身の学舎を完成させ、そこに孔子像を安置して学問に適した環境を整えました。茂文が起こした東原庠舎は朱子学の学校で、明治になるまで、漢学や和学、武芸などの文武両道を教える場として重要な役割を果たしました。侍の子弟においては修学を相続の条件とするなど、子弟教育を第一にあげていますが、侍以外の者にも入学を許可していました。身分を問わず学問を志す者すべてを受け入れたことは、当時にあっては画期的であり、注目すべきことだといえます。そして多久は、いつしか学問の地、また昼夜とも明るい仙人の住む場所という意味の「丹邱(たんきゅう)」とまで言われ、その名は遠く江戸にまで達するようになったのです。茂文や東原庠舎の初代教授である川浪自安(かわなみじあん)らが基礎を築いた邑民教育政策は、次第にその成果を表しはじめ、幕末から明治にかけていよいよ開花していくことになりました。のちにわが国の電気工学の先駆者となる志田林三郎(しだりんざぶろう)をはじめ、明治刑法の草案者である鶴田皓(つるたあきら)、地元や社会事業等に多額の寄附を行った高取伊好(たかとりこれよし)など、東原庠舎から日本の近代化や郷土のために尽くした人物が、数多く輩出しました。また茂文の熱き志は「文廟記(ぶんびょうき)」という書に格調高い文章でつづられています。明治になって新しい学制が施行された前後に東原庠舎は取り壊されましたが、平成3年に当時の面影を残しつつ、現代風に再建され、学校などのクラブ活動の研修場として利用されています。
東原庠舎の教科書など
東原庠舎の利用方法
利用の申し込み | 原則として使用許可申請書を使用する5日前までに提出 |
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利用条件 |
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利用時間 |
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休舎日 | 毎週月曜日(月曜日が国民の祝日に当たるときはその翌日)8月14日から8月16日12月26日から翌年1月4日 |
申込方法 | 所定申込み用紙に記入して申し込みください。 →多久市東原庠舎使用許可申請書 |
申込先 | 公益財団法人 孔子の里<外部リンク> 電話 0952-75-5112 ファックス 0952-75-5320 Eメール ko-si@po.taku.ne.jp |
利用料金(税込)
区分 | 居住地区 | 宿泊研修料金 | 日帰研修料金 |
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中学生以下 | 市内 | 1人 310円 | 1人 110円 |
市外 | 1人 520円 | 1人 110円 | |
高校生 | 市内 | 1人 520円 | 1人 220円 |
市外 | 1人 1,050円 | 1人 220円 | |
一般 | 市内 | 1人 1,050円 | 1人 220円 |
市外 | 1人 1,580円 | 1人 310円 |
利用料金は申し込みまたは、当日に前納してください
食事の申し込み(税込)
食種 | 朝食 | 昼食 | 夕食 |
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金額 | 600円 | 700円 | 900円 |
時間 | 7時30分 | 12時 | 18時 |
3日前までに人員を確認の上、事務局へ連絡してください(当日変更はできません)
所在地
佐賀県多久市多久町1843-3
交通
- 多久ICより、車で20分。国道203号(バイパス)線を唐津方面へ2Km行き、荕原(あざみばる)交差点を左折、3Km南下し市立病院を通り過ぎつきあたって左折すると多久聖廟入口に出る。その敷地の東奥に位置します。
- 昭和バス多久駅北口より武雄方面にのり「本多久」下車、徒歩15分