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人権だより(6月)

印刷 文字を大きくして印刷 更新日:2022年6月1日更新
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「区別」と「差別」を考えよう!

私たちの身のまわりには、区別に終わらず差別につながることがたくさんあります。「区別」か「差別」か、明確な基準はなく境界線も曖昧なため、個人の主観に左右されがちです。そのことが、結果的に差別を引き起こす原因にもなっています。

次のことは「区別」でしょうか。それとも「差別」でしょうか。

  • 運動会の短距離競争で、1位から順位をつけた
  • 男性の医者では言わないのに、女性の医者を「女医さん」という
  • トイレにいくと男子用、女子用に分かれていた

区別とは、それぞれが本来持っている個性や特性の違いで分けることです。
例えば、男性と女性に分けることや、日本人と外国人、力に応じて順番をつけることなどがあります。

差別とは、性別や人種、病気、住んでいる場所など、本来持っているものに差をつくって、不当な扱いをすることです。
例えば、女性よりも男性が偉い、外国人だからマンションを貸してもらえない、などがあげられます。人間には、さまざまな違いがあります。その違いにより、社会参加の機会が不平等になったり、規制されたりすると差別になります。差別は、さまざまな形で私たちの周りに現れます。

差別は、次のようなとらえ方ではっきりさせることができます。

  • 等しく幸せになりたいという願いや要求を踏みにじる
  • 人間の誇りを傷つけ、いやしめ(見下す)、辱める(傷つける)
  • ことさら物事の道理をゆがめる
  • 不平等な扱いをして不利益を強いる

差別とは、偏見や先入観などによって、違い(多様性)を認めず、ひとくくりにして、人を傷つけること、人をバカにすること、人を仲間はずしにすることです。「等しく、幸せに」という誰もが持つ願いを、合理的な根拠もなく一方的な不当な力によって奪い、人間を見下し、傷つけることは差別です。

自分の言動を振り返ってみましょう


私たちが普段何気なく聞いたり使ったりする言葉を振り返ってみましょう。
日ごろから、「それはその人の責任なの?」「それは人の努力で変えられるものなの?」と自分の言動を見つめ直すことで、「自分が傷つけられている」あるいは「人を傷つけている」ことに気づきやすくなり、自分やまわりの人の人権を守ることにつながります。
差別は、「差別される人」がいるから起きる問題ではなく、「差別する人」がいるから起こるのです。「差別される側にも問題がある」と主張する人もいますが、理由があれば差別して良い訳はないはずです。差別は、差別する側に立つ可能性がある人たち、つまりは、私たちの問題です。