多久古文書学校展2023~近世石工の足跡~
多久古文書学校は今から40年以上前に、地域に残された史料の保存活用にたずさわる人材を育てるため、設立された組織です。特に、平成10年1月から始まった多久領の行政記録である「御屋形日記」の翻刻と出版事業は、古文書学校の重要な仕事として続けられてきました。活字化された「佐賀藩多久領御屋形日記」は、はじめ3巻まで九州大学出版会から刊行されましたが、現在は多久市教育委員会から6巻まで刊行されています。以後続刊の予定です。
展示では古文書学校の活動と、出版された本の中から、興味深い出来事を紹介します。
砥川の石工と多久領
現在の小城市牛津町砥川は、多久領と関係の深い場所です。江戸時代初期、三部上地によって多久領であった砥川の大部分が佐賀本藩・蓮池藩に返上されましたが、谷村だけは多久領であり続けました。谷村に集まった石工たちは、北部九州各地で活躍しました。
内容紹介
古文書学校の活動、古文書翻刻「御屋形日記」「肥陽旧章録」、元禄2年(1689)砥川谷村多久私領に属す、元禄10年(1697)久保山(脊振山)弁財天石宝殿を建立する、享保12年(1727)佐賀城二の丸普請に焼米より石を出す、宝暦九年(1759)石工七十人札名書上げ、安永元年・2年(1772・1773)出稼ぎの禁止に関する裁定、文政8年(1825)多久八幡神社二の鳥居建立、砥川石工の名工平川與四右衛門。
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