4月 明治150年と志田林三郎博士

 今年は明治150年です。薩長土肥(薩摩=鹿児島・長州=山口・土佐=高知・肥前=佐賀)4県では明治維新150年の取り組みがあり、「肥前さが幕末維新博覧会」は来年1月まで開催です。
 当時の藩主・鍋島閑叟(かんそう。直正の号)公の先見性や先人の活躍が光ります。閑叟や大隈重信、副島種臣、大木喬任、江藤新平、佐野常民、島義勇の七賢人はじめ佐賀県ゆかりの先人顕彰も含め、25人のモニュメントが佐賀市の中央大通りに設置されました。
 多久ゆかりの人物は志田林三郎博士です。幼くして父を失い、母の饅頭売りを手伝い、数学に優れた才能が多久藩(邑)幹部に知られ、東原庠舎で学べることとなり、才能が開花します。
 藩命で明治5年に工部省工学寮(10年に工部大学校。後に東京大学工学部)に入学。電信科を首席卒業し、日本初の工学士となります。明治13年に当時の世界最高学府の英国グラスゴー大学でウイリアム・トムソン(ケルビン卿)のもとで学び最優秀のクレランド金賞を受け、英国郵便事業も現地視察。帰国後は工部省電信局で働きつつ帝国大学教授として励み、明治21年に日本人初の工学博士となり、工部大学校(東京大学工学部)初の日本人学部長となります。
 さらに逓信省(後の郵政省)設置や日本郵便事業、電気学会創設にも尽力。明治21年6月に電気学会の第一回通常会で「将来可能となるであろう10余のエレクトロニクス技術予測」を講演し、100年後のICT社会を予見しました。このうち9は実現され、残り1つは磁場変化による地震予知で、いずれ実現されるでしょう。
 しかし、明治25年に36歳で逝去。もっと存命ならアップル社のジョブズ氏やマイクロソフト社のゲイツ氏を凌ぐ活躍をしたとも考えられます。
 このほか多久には、石炭王の高取伊好、法律編纂に尽力した鶴田晧、藩校弘道館教授の草場佩川などの先覚者がいます。
 維新期の志士たちの生き様や志、歴史に学びたいものです。

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情報課 広報広聴係
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